生活に困るほどお金がなくなった時、まずすべきこととは?【沼田和也】
『牧師、閉鎖病棟に入る。』著者・小さな教会の牧師の知恵 第10回
じっさい、お金は大事である。宗教者だからといって「お金に執着するなど愚かなことだ」とはとても言えない。イエス・キリストはたしかに「あなたがたは、神と富とに仕えることはできない」と語った(ルカによる福音書16:13)。だが、そのほんの少し前には、イエスはこうも言っている。
「そこで、わたしは言っておくが、不正にまみれた富で友達を作りなさい。そうしておけば、金がなくなったとき、あなたがたは永遠の住まいに迎え入れてもらえる。 」(ルカによる福音書 16:9)
よりにもよって、不正にまみれた富で友だちを作れときたものである。宗教家のイメージからは程遠い、大胆な戦略家イエスの姿が垣間見える。イエスは人々の苦しい現実を無視して、お花畑の天国を語ったのではなかった。じっさい、のちにイエスを裏切ることになる弟子のユダは、弟子集団の会計係をしていたようだ。イエスとて、霞を食って生きていたわけではない。自分の教えを有効に語り伝え、悩み苦しんでいる人、飢えている人、病気の人に適切なケアを行うにあたっては、人々から寄付を募り、そのお金を弟子たちに管理・運用させなければならなかった。その会計管理者がユダだったのである。
また、イエスをめぐってこんな事件も起こった。ある女性が心からの信仰でもって、高級な香油をイエスの頭に注いだのである。そのとき、周りの人々は憤慨した。「なぜ、こんなに香油を無駄遣いしたのか。 この香油は三百デナリオン以上に売って、貧しい人々に施すことができたのに。」(マルコ14:4)貧しい人々を現実的に救済するためには、とにかくお金が必要である──この前提が、イエスのまわりでは共有されていたのである。